ドラマや映画・CMで活躍する女優の吉瀬美智子さん。
最近では、テレビ朝日の木曜新ドラマ「ケイジとケンジ、時々ハンジ。」に判事役として出演をしており、今尚年齢を感じさせない「氷点下100度の女」の異名を持つクールな役柄を演じています。
遅咲き女優ながら2007年にデビューして以来数々のCMやドラマに出演してそのの美貌を披露してくれましたが、どうやら若い頃は地元でも有名な美人ヤンキーだったという説も・・・。
ライアーゲームではクールな役を演じて注目を集め、のだめカンタービレでは金髪の笑えるギャグ役まで演じてさらに注目を集めるようになり、ニベアのCMでも素敵な美脚を披露していた彼女がまさか!
イメージとはまるで違い元ヤンキー・暴走族の禁断ワードも数多く見受けられるが本当のところはいったいどうなのか?
今回は「若かりし頃の吉瀬美智子さんは本当に元ヤンキー・レディースだったのか?」を写真や画像と併せて検証します。
【吉瀬美智子】若い頃の元ヤンキー・レディース写真が見たい!
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現在、テレ朝の木曜新ドラマ「ケイジとケンジ、時々ハンジ。」で裁判所の判事「諸星美沙子」を演じている吉瀬美智子さん。
「氷点下100度の女」の異名を持つ役柄みたいですが、LIAR GAMEでLGT事務局員の幹部エリーを演じていた頃のクールでカッコいい女性を思い出させてくれます。
こういった感情を表に出さない冷徹な女性を演じるのがホント上手いですよね。
とても48歳とは思えない透明感と若々しさ・存在感の高さを感じます。
そんな吉瀬美智子さんの若い頃の懐かしき「元ヤンキー・レディース時代」の写真を見てみましょう!
ミニスカ・ワンレンの高校時代
吉瀬美智子さん自身、自らの著書(幸転力)でも語られているように、高校時代は制服はミニスカートで髪はワンレンだったそうで、貴重な卒業アルバムからのショットがこちら。
現在の容姿からは想像も出来ないヤンチャっぷり全開な感じですね。
地元でも有名な美人ヤンキーと称されるのも確かに頷けます。
美人ヤンキーとしても有名で、吉瀬がガソリンスタンドでアルバイトをしていたとき、「彼女目当ての暴走族が列をなして給油していた」という伝説まである
引用元:smartFLASH
また、吉瀬美智子さんの出身地の福岡県朝倉市という地域は昔からヤンキーの町として有名で、基本的に何もない田舎なので、必然的に中学生位になるとバイクで遊ぶヤツが出てくるんです。
国道386号線が通っているので386(サンパウロ)って暴走族もその当時ありましたが今はもう無いだろうな〜・・・。
私の出身地も似たような田舎だったのでヤンキー多かったですよ(笑)
夜も行くところが無いから友人宅なんかに行くしか無いんだけど、誰ん家でも良い訳じゃないから自ずと溜まれる家っていうのは限定されていきますよね。
【吉瀬美智子】卒業アルバムが本気でヤンキー!
グレた原因は両親の離婚か?
吉瀬美智子さんのご両親は、吉瀬さんが小学校1年生の頃に離婚しています。
吉瀬さんが中学生になる前に復縁されたそうですが、その空白の6年間は幼い彼女の心に深い傷を負わせてしまったのでしょう、「私が悪いことをしたからお母さんは私を置いていってしまった」と自らを責めたと話されてます。
地面に達するほどのロングスカートに制服の袖をめくりあげ、昭和のスケバンそのままの姿。気合いの入った表情でカメラにメンチを切る
引用元:週刊実話
髪を染めて無断外泊を繰り返し友人宅で寝泊まりするなど自宅に帰らない生活を送ってきたとの事で、一度出ていった母親を許すことが出来ずに中学・高校は母親と距離を置いていたようです。
ちなみに私の高校時代の友人の父親はそっちの道の方さんでした!(驚)
そっちの道ってどっちの道?そっちの道です!!
しかも、なんと友人宅の3件隣!!
物凄い広い敷地に立つ無茶苦茶デカいお城みたいな平屋の母屋といくつもある離れや倉で、外周の塀には侵入防止(?)の有刺鉄線がぐるりと張り巡らされてましたよ・・・あとドーベル君がチラホラ(涙)
若い衆の方々は毎日家の周囲をホウキで掃除をして大変礼儀正しく、例えるならお魚屋さんみたいな元気の良さで、通り掛かる人達に「こんにちはっ!」と大きな声で挨拶をされていました。
何か考え事でもしながら歩いてたりしたらビックリしますから!いきなり来ますからね!「こんにちは!」って(笑)
週4位のペースで遊びに行ってましたよ。
で、気になるその友人は今何してるかって事ですが・・・ネクタイ締めて真面目にサラリーマンしてますよ!
イチ友人として、そっちの道に進まれなくて本当に良かったです。
そもそも昭和世代にはそんなに珍くもないヤンキー
吉瀬美智子さんが1975年(昭和50年)生まれだったことを考えると、個人的にはこの方がヤンキーだったとか金髪だったとかの話はそんなに珍しいことではありません。
この頃は、ビーバップハイスクールをはじめ、ろくでなしBLUES、クローズ、特攻の拓などの不良漫画全盛期で、ちょっとツッパっている奴はだいたいカスタマイズされた学ランと独自ヘアで決めるのがお決まりのスタイルでした。
私自身、中学生の頃はボンタン&短ランで裏ボタンはチェーン付きが世界一カッコいいと思って頑張ってました。
好みによりますが、大きくは短ラン派と長ラン派に分かれてました。細かくは「中ラン」という中間カテゴリもあるほど学ランの世界は奥深かったのです。
ソリ込み、リーゼントも今でこそププッと笑いが出るものの、当時はヤンキー界のカッコ良さの頂点に君臨してましたからね。
でも、私はエリだけやたら伸ばした(通称:ヤン毛)のオシャレ金髪バージョンでした。
出典:ヤギ床屋
↑ この昭和センス分かるかなー ↑
高校生の頃は美容部員志望だったが就職試験に通らなかったため、卒業後にエステサロンや喫茶店でバイトを続ける中スカウトの目に留まり、地元で「小雪」の芸名でモデル活動を開始した吉瀬美智子さんは、その後20歳で上京しモデル活動やCM出演などを経て、2003年から「噂の東京マガジン」の5代目アシスタントをも勤めることになります。
この頃をご存じの方がどの程度いるかは分かりませんが、ものすごく綺麗でした。
若い頃にアルバイトをしていた地元の喫茶店「綾」
吉瀬美智子さんが高校生の頃アルバイトをしていた地元朝倉の喫茶店がこのカフェテラス綾。
家族経営と思われるアットホームな雰囲気の店内には写真やサインが飾られています。
九州自動車道の杷木インターを降りて国道386号線を大分(日田)方面へ進めば数分で進行方向左手に「綾」の看板が見えてきます。
実は私も学生時代にここに訪れたことがあるのですが、もしかしたら直でお会いしていたかも知れません!
スパゲティが美味しいとその頃は評判でしたが今でも口コミで美味しいとの声も多く、中でも野菜サラダのドレッシングが神レベルとの絶賛評価も!
近くを訪れた際にはお立ち寄りください。
【吉瀬美智子】若い頃のレディース写真が見たい!〜まとめ〜
20歳で福岡から上京して雑誌モデルを経て遅咲きながら2007年に32才の新人女優として鮮烈デビューを果たしここまで駆け上がってきた吉瀬美智子さんも、現在の立ち振舞いからは想像も出来ませんが、若かりし頃にはヤンチャをしていたのはどうやら本当のようでした。
過去には一時期グレていたかも知れませんが今はもうすっかり落ち着いた大人の女性。
モデル時代と思われる下の画像からはすでにヤンキーを連想することは出来そうにありませんが、ツンとした表情が何となくまだ若さを物語っているように思います。
当時バチバチしていたご両親とも今ではすっかり仲良しのようで、今では懐かしい「笑っていいとも」出演時では、お父さんお母さんからの電報に笑みが溢れてます。
自身が子供を持って親のありがたみが分かったと話されていますが、誰もが皆きっとそうなのでしょうね。
私生活では昨年離婚を発表しシングルマザーとして二人の子供の母親として新しい道を歩み出した吉瀬美智子さんのこれからのますますの活躍を応援しています。
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